2012年04月01日

閉鎖性のある場所


私の活動範囲は狭いので、一般化はすること危険ですが
少し田舎の方へ行くほど、障がい者の社会参加への認識は低まるのかもしれない。

というようなことは、別に特筆するべきことでもなく
誤解を恐れずに言えば田舎は概して閉鎖的であり、あの人もこの人もその人も、
その人の子どもも孫も嫁さんも
皆が皆を知っています、という社会。
私自身が村(という行政区分では私が産まれたときにはすでになかったけれど、あれは
まさに村以外の何物でもなかった。)出身なので、実感をもって言えるのですが、
田舎や村社会は、とても牧歌的な良い側面がある一方で、排他的な不信が
残念ながら救いがたくあります。

そういうある種の閉鎖性・排他性を、ここマレーシアのFeldaという地区で感じることがありました。

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Felda(Federal Land Development Authority)という組織は
日本語に直すと、「連邦土地開発庁」
というものになります。
歴史的には
ジャングルを伐採し、農園を併設した入植地を開発してマレー人土地なし農民を
移住させ、農園・新村落を管理してきた機関のようです。
そしてこの機関が開拓していった場所もまたFelda地区と呼ばれて一つの村落を形作ります。

しかし、このFelda地区はなんとも不思議な地区で入ってみるとその感覚がわかるのですが
小都市部から移動し、どんどんとジャングルの中をはいって行ったところに
突如としてその地区が出現するのです。

普通、町でも村でも他の場所とのつながりというか、連続性が感じられ、
「ああ、ある町にはいってきたのだな。」という徐々に移動してきたという実感を得られるものですが、
このFelda地区というのは、なんというかいきなり、その存在を現わすのです。
これはなんとも言葉では説明しにくいのですが、ジャングルのど真ん中に小村落がつくられている
という、不思議さ・妙さがあるものなのです。

Felda地区の入り口にはゲートがあります。これがまず、外から来た人間に異様さを与えます。
地区に入って一周するとわかるのですが、この地区にはすべてがあります。
住居地区があり
学校があり
病院があり
モスクがあり
店や食べ物やがあり
その他公共施設や必要なものがすべてある。

また、現在は油ヤシやゴムなどの商品作物の栽培が中心に行われているようで
商品生成のための工場も併設されている。

つまり、ジャングルの中に突如として出現する、ゲートで囲われたこの地区は
そこだけで一つの社会をなしており、言いかえればそこでなんでも用が事足りてしまう。

ある意味で便利なのかもしれないけれど、どうもなんとなく閉鎖性も感じられる。

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さて、Feldaの中にはPDKがあるところもあります。
現在私がまわっているPDKではFelda直轄PDKが2か所あり、
そのうちの一つのPDKの訓練生に就労支援をすることになりました。

この訓練生の両親は、「自分の息子が町に一人で出ることは許さない。」
という確固とした考えをもっていました。

一方、PDKワーカーの一人はその訓練生に就労の機会を与えたいと考えており
訓練生自身も何かして働きに出てみることを楽しみにしているようでした。

そこで、このFelda地区内で受け入れてくれるところはないか、
ということで、2日かけてPDKワーカー・その訓練生と一緒に探してみたところ
小さな小さな食べ物屋で受け入れてくれる、ということになりました。

とりあえず1か月ということで。

そして、どんな仕事が彼に適当か、私はいつものようにまずは最初に自分で半日見に行きました。
そうすると、食べ物屋の女主人。
「私は協力したいと思っています。ただね、やっぱり客が皆嫌がるの。
障がい者は食べ物屋での仕事なんかには向かないと言って。うるさくしたりするでしょう。
それに自分で自身の清潔保持をすることもできないでしょう。そんなとこまで私は
面倒をみることは難しい。」
女主人は私たちの依頼をまじめに考えてくれていました。
そして客も別にふざけてそんなことを言っているわけではない。
ただ、真剣にそう言っているのです。

その食べ物屋に来る客は皆、私の姿を見て言いました。「あの子誰?」
女主人は説明してくれました。
「日本からのボランティアで障がい者の仕事探ししたりしている。
ここにも、一人来週から訓練で来るの。」

そうすると、先に女主人が私に言ったように、客は眉をひそめて言いました。
「こんなところに障がい者が働きにくるなんて、ふさわしくないな。」

さらに話は個人の話になっていきます。
「その来週からくる障がい者は誰なんだ。」
「○○さんちの子よ。」
「○○なら自分のところでも店持っているじゃないか。」
「いや、だいぶ前から店は閉めていて、当面の間ここで訓練しようということなのよ。」

私はなんだか、申し訳ないような気になってきてしまいました。
私たちが良かれと思ってしている就労支援のせいで
その訓練生と親はこの閉鎖的と言える地区で妙な噂になってしまっている。

私は半日、その店で後片付け等しながら見学していましたが、
来る客来る客に細かな説明まではできませんでした。

「私は彼ができる仕事を見つけるために今日ここにいるのです。」
「一概に障がい者が食べ物屋で働くことができないわけではありません。」

そういうことを言って受け入れてもらえる段階ではなさそうであるし、
私の語学力で変に伝わり誤解を生む方が危険であると思ったし、
まずは仲良くならないといけないし。

とりあえず私は、「社会福祉事務所でボランティアをしている。だから地域のことを
知りたいと思ってお願いしてここに来させてもらいました。」と繰り返しました。

それだったら受けれ入れてもらえる。
でも「障がい者がここで働くのだ。」ということは今のところ受けれいてもらえそうにない。

日本からのお客さんがしばらくいるだけなら歓迎だけど、
障がい者が自分たちの利用する場所で働くようになる、というような恒常的な変化は困る。

要するにそういうことなのだろうか・・・。

どうなるのかなぁ、と思いながらしかし、
「まぁ、でもいったん受け入れるといったので、やってみましょう。」
という女主人の言葉を頼りに来週からやってみることにはなっています。

それにしても本当に、
変化を拒み、外からの新しいことを受けれることが難しい地域に、私などがのこのこと入っていっても
まさに無力だな・・・、と感じます。
この訓練生が1カ月間、この食べ物屋で働くことができたら、少しは変化になるのだろうか・・・。


ちなみに下の写真はあるFeldaのパームオイル工場の前
image026.jpg

posted by おさる at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 協力隊員活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月26日

マレーシア映画


映画はそれなりに好きな方でしたが、マレーシアでは映画とは縁遠くなってしまい
マレーシア映画も、ほとんど知らず。

それではもったいないな、と思い立ち、マレーシア映画鑑賞を始めました。

と言っても、映画館があるわけでもない私の町。
怪しげなDVD屋に行って、おいてあるDVDをまとめて買って週末鑑賞していましたが
なんというか、
ナンセンスな映画のオンパレード。

コメディーものは、ドリフを映画にしたような感じであり
恋愛ものは、昼間ドラ2時間もののようであり

これを映画と称してよいものかも、やや疑問なり。
と言わざるを得ない鑑賞感。
田舎のDVD屋に文化的と言える映画は存在しないことがわかりました。

でも、もちろんマレーシア映画にも良いものもあります。
私が好きなのは、Yasmin Ahmad監督の映画。
すでに亡くなってしまった監督ですが、お祖母さんが日本人ということもあってか
日本でも知ってる人は知っている?有名な監督です。

image009.jpg

生前に作られた映画6本のうちまだ2本は見れてないですが、
多民族国家マレーシアの面白さと問題点をつく内容のものが多いようです。

映画の中で語られた会話で印象深かったのが
「ラジオをひねれば、マレーだインドだ中国だ、いろんな音楽が聴ける。
もし、一つの文化や言葉、民族しかない世の中だったらどうなんだろうね。
想像もつかないね。」(Gubra)
というもの。

日本に住んでいると、言葉や民族の多様性を感じる機会が少なくて
逆に多民族の社会ってどんなのよ
と疑問に感じるものと思いますが、
マレーシアのような国の人からすると、
いろんな文化がまじりあっていることが当たり前で、
そうでない世の中ってどんなのよ
と感じるものなのだなぁ、と改めて実感しました。

2年近くのマレーシア生活の中で、ここでの文化のあり様も、なんとなく当たり前に
感じるようになってきていましたが、
やはりマレーシアは面白い。言葉も食べ物も文化もごった混ぜ。
ごた混ぜな分、言葉なんて通じればOK、という適当さですが、
その適当さもまた面白い。

映画というフィルターを通じて、自分のいる地点を見直すと、
ちょっと愉快になることがわかり、今度は大きいDVD屋に行って、bまともな映画を
買ってこよう、と思っているところです。


posted by おさる at 02:27| Comment(0) | TrackBack(0) | マレーシア文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月11日

震災1年

今日、2011年3月11日のからちょうど1年の日でした。

ちょうどKLにいたため、NHKの番組と共に震災のおきた日本時間14時46分に黙とうしよう

とテレビを見ていると、なんとも運の悪いことになぜかテレビ電波の調子が悪くなり
その時間の前に見られなくなってしまいました。

仕方がないので、自分で時計を見て、一人で1分間黙とうをしました。

1年前
「お前の田舎は大丈夫か?」「家族は無事か?」
とあれこれと心配してくれたまわりのマレーシアの人たちも
1年がたち
もうその関心はかなり薄れているのだろうと思います。

また「原発事故はもう解決したか?」と聞かれることもありますが
解決の道のりは少なくとも30年とされるこの問題。
簡単に片付かないことなんだ、ということが伝わっていないのかもしれないと感じます。

外国にいて、多くの友だちと知り合いのできた私にとってできることは
「今日は震災のあった日なんだ。まだ大変なんだ。」ということを
自分の知っている人にちょっとでも伝えること。

そういう地道なことが、震災の記憶を風化させないために
自分のできることなのかなぁ、という気がしています。

なんせ、どんなことでも、誰からも気にされなくなる、ってことが一番怖いから。

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ところでこれまでのJICAマレーシア事務所長が3月で日本に帰られることになり
先日その送別会がありました。

協力隊出身だった永江所長。
直接にいろいろとかかわりがあったわけではないけれど、
ボランティアのこと、いろいろわかってもらえている、という安心感がありました。

寂しいですが、お気をつけて日本まで!!

image031.jpg

posted by おさる at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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